深瀬昌久『1961-1991 レトロスペクティブ』の感想など

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はじめに

深瀬昌久氏は、日本の写真史において、1960年代から30年にわたり独特なポジションを築き上げ活躍してきた写真家です。

ただ、私が生まれる頃には大怪我と後遺症によって作品が世に出る事がなくなっていたため、私と同世代の20代後半から30代くらいまでの方の間ではあまり馴染みが無いかもしれません。

この記事では、日本に生まれた稀代の写真家である深瀬昌久氏について、写真作品に馴染みの無い方にもわかりやすく解説します。

私なりの解釈で解説しますので、意見の異なる方などいらっしゃるかと思います。もし、ご意見などあればコメントをいただければ幸いです。

深瀬昌久という写真家

恐らく、彼の最もポピュラーな作品は『鴉』でしょうか。私も一連の作品群を見る中で、観たことのない独特の視点(すなわち人ではなく鴉による視点を表現したもの)、そしてその写真を生み出した深瀬昌久という写真家の表現力に圧倒されました。

私が深瀬氏の作品を知ったのは、2012年に彼が他界した後でした。しかし今回、アートプロデューサーのトモ・コスガ氏をはじめとする方々の尽力で散逸した写真が集められ展示が行われると知り、0歳の娘をベビーカーに乗せて都立写真美術館へ向かいました。

東京都写真美術館 公式HP https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4274.html

(東京都写真美術館 公式Twitter)

恵比寿の東京都写真美術館へ

東京都写真美術館は、恵比寿駅から通路を5分程歩いた「恵比寿ガーデンプレイス」のおしゃれな空間の中にあります。

ガーデンプレイスへの通路の柱の1本1本に、今回の展示の広告が貼り付けられていて、都写美の気合いを感じました。

なお余談になりますが、毎年4月1日は美術館の年間パスポートが更新される重要な日です。美術館によっては、売り切れてしまうところもあるそうですので、お気に入りがある方は早めに確保される事をおすすめします。(年間4回以上行く場合は、年パスを購入する方がお得になるというケースが多いようです。都写美の場合、同伴者1名まで利用可能なので、友人や恋人、夫婦で行けば一瞬で元が取れてしまいます)

私が4/1に来た理由もこれが大きいです。

深瀬昌久『1961-1991 レトロスペクティブ』

展示を写真に撮る事は許可されていませんでしたので、ここでは全体の展示構成と感想・観覧のポイント、作品リストについて解説します。

※作品リストのダウンロードリンクはこちらです。(都写美公式HP)

展示構成は全8章で、合計115点の写真作品が次の流れで展示されています。

1章|遊 戯
2章|洋 子
3章|家 族
4章|烏(鴉)
5章|サスケ
6章|歩く眼
7章|私 景
8章|ブクブク

テーマ別に、深瀬氏の歩みとともに作品を観る事ができるようになっていました。以上の中から、私にとって特に印象的だった作品を中心に少し語ってみたいと思います。

1章〜3章

「1章|遊 戯」〜「3章|家 族」までは、深瀬氏の妻や家族を中心とした周囲の人々を通じた作品群でした。

これらの作品群に共通して言えるのは、深瀬氏が写真を撮る動機です。「3章|家 族」には次のような説明がありました。

「ピントグラスに映った逆さまの一族のだれもが死ぬ。その姿を映し止める写真機は死の記録装置だ」

深瀬昌久,1985年,衰えた父・助造の姿を見て https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4274.html

例えば、屠場で解体される家畜を撮った「屠」(1章)や、勤め先の画廊に毎朝出勤する洋子の姿を四階の自室窓から望遠レンズで撮り続けた「洋子」(2章)。今この瞬間にしか存在しないものを永遠に残すという写真の役割への強力な執着を感じる作品群でした。

この感覚は写真を撮る人の多くが持っているものだと思います。私も、欧州駐在時代の刺激的な日々と記憶を形に残そうと思い、定点カメラから毎日の妻との食卓を同じ構図で残し続け私作品を創ったことがあります。深瀬氏の作品は、被写体への働きかけなどを通じた物語性のある写真が多く、じっと観て想像を働かせることができました。

中でも圧倒的に印象的だったのは「3章|家 族」です。

「家族」という概念を意図的に破壊することに挑戦した作品群です。例えば、《上段左から妻・洋子、弟・了暉、父・助造、妹の夫・大光寺久、下段左から弟の妻・明子と妹の長男・学、母・みつゑと弟の長女・今日子、妹・可南子、弟の長男・卓也》という作品。ここでは、「普通の家族写真」の中で1人だけがヌードになったり、ヌードで踊らせるようなことを通し、ある種の「シュールレアリズム」を混在させています。

東京都写真美術館公式HP https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4274.html

この作品を通じて、深瀬氏は2つの目的を達成したと思います。

1つ目は、この瞬間にしか存在しない「自分の家族」を永遠に残すということ。

2つ目は、家族という概念は演劇的要素によって作られたものであり、我々は自らを登場人物として演じることで家族という演劇を再生産し続けている、という仮説を証明すること。

写真を撮り続けていると、「写ったもの=真実」という性質を逆手にとり、色々な表現をする事を思い付きます。深瀬氏の場合、それを自分の家族を使って実行してしまうという、たがのはずれたような実行力が凄まじく、私はこの作品を通じて彼が「写真を撮るために生きた人」だったのだと確信するに至りました。

「生きるために剣を振るお前が、剣を振るために生きる私に勝てる訳が無い」

PCゲーム「ひよこ侍」

これは私の好んでやまないフリーゲームの名台詞ですが、どうしようもない本気度を感じた時、人は圧倒されるものです。

4章〜5章

「4章|烏(鴉)」〜「5章|サスケ」では、動物を通じた写真表現を中心とした構成になっています。

ここでも、彼の非凡さを感じる圧倒的な作品が多数ありました。たとえば、「鴉」とタイトルされているにもかかわらず、鴉ではなく道ゆく人々が写っている写真。1枚だけ観てもあまり理解する事はできないかもしれませんが、それは空を飛ぶ鴉の視点から人々を眺める表現です。同じ表現を、ねこを通じて挑戦している作品もあります。

このような技法はデジタルの時代だからこそ成立した表現だと思っていたのですが、フィルム時代にやった人がいたのだと考えると、深瀬氏の底知れない執念と実力を感じる事ができます。

6章〜8章

「6章|歩く眼」〜「8章|ブクブク」では、被写体を求めて世の中の全てを写した深瀬氏が、最後に被写体として行き着いた自分自身を撮る事に取り組むまでの作品群です。

自宅の湯船の中に潜った自分の姿を約1か月間写し続けた「ブクブク」では、カメラを握り続けた深瀬氏が写真表現の更なる限界に挑戦する様子が、楽しそうに、でも寂しそうに、記録されています。

結果的には、作家生命の晩年期にあたる作品となった本作品は、どうしても位置付けとして哀しさを帯びたものにならざるを得ません。しかし、これが世の中に出て我々の目に触れているという事が痛快でもあります。

おわりに

今回改めて感じたのは、美術館というのは、映画やその他の作品と同様に、何かしらの表現を提示して、人々が忘れてしまっている事や気づかない事を思い出させてくれたり、気づかせてくれたりするきっかけを提示する事を1つの目的としていると思います。それが、市民社会に於けるアートの「社会的役割」だからです。

何かに一石を投じるような作品を生み出すということは、「議論を呼ぶ事を通じて市民社会の活性化に寄与する」というアーティストの社会的使命を果たしていると言えるのだと思います。

深瀬氏が逝去して10年以上も経ちますが、彼の作品は今もこの世界で生き続けている。そんなことを実感しながら、恵比寿ガーデンプレイスで余韻を楽しみました。

※本展示の作品リストのダウンロードリンクはこちらです。

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